波は、ずっとそこにあった
ただ、素材として見れる人が
いなかっただけだ。
電気のある場所には、波が生まれる。
その波を「排除すべき害」として見るのか、
「空間を構成する素材」として見るのか。
その眼差しの違いが、居心地のまったく異なる空間を産み出す。
【波は、問題ではなかった】
波は本当の問題ではないかもしれない。
その本質は、別なところにある可能性がある。
そうした時、波とは空間を満たす素材に過ぎない可能性が浮上してきます。
その波は、目には見えないし、触れることもできません。
しかし、あらゆる空間に満ちていて、
わたしたちのからだに、静かに明らかな影響を与え続けています。
波を、害として恐れることもなく、無視するのでもなく、
藝術の対象として捉えたとき、空間づくりの可能性は大きく広がります。
同じ波をどの視点で見るかで、空間に投げかける意味も変わってきます。
問題として避けられない波としてではなく、
素材として向き合うことから、空間を整える藝術の土台が構築されていきます。
【生命は、ずっと波の中にいる】
地球が発する微細な振動の中で、植物も、動物も、人間も波を感じ取ることを覚えてきました。
生命体そのものが、その波を受け取るための器として長い時間をかけて磨かれてきたのです。
そこに、電気という新しい波が加わります。
百年あまりという、進化の歴史からするとほんの一瞬前の出来事です。
いまや現代の暮らしは、その波なしには成り立ちません。
しかし、からだはまだその波に十分に慣れていない可能性があります。
文明を否定するわけでもなく、電気を否定するわけでもなく、
害をなすものとして距離を置くわけでもなく、ただ、問い直す必要があります。
わたしたちは今、どんな波の中で生きているのか。
その波と、どう向き合っているのかを。
【見方が変わると、素材が現れる】
藝術には、既存の見方を変える力があります。
電気が生む波を、藝術の素材として扱う。
それが、出発点。
「問題」として見えていたものが、視点を変えることで「素材」になる。
「排除すべきもの」が、「変容され得るもの」になる。
その波を「害」として遮断しようとするのではなく、
空間を構成する素材として読み解くことで、
居心地の問題は、まったく違う角度から解決できる。
地球が生み出す波。生命が感じ取る波。
そして人間が電気によって生み出した、新しい波。
それらの関係を問い直すことが、居心地のよい空間を創ることと、
深いところでつながっている。
住まいにおける電気の波も、その眼差しで働きかけることが出来る。
電気の波を理解し、整えていくこと。
そのプロセス自体が、藝術的な転換を実現する土台となる。
【わたしはそこに、藝術を見る】
感じることと、創造すること。
創造する対象は、目で見えるものではありません。
電流が走るところに、見えない波が必ず生まれる。
それは文明の足跡であり、現代の暮らしが空間に刻む、見えない振動。
多くの人はその波を「排除すべきもの」として見る。
わたしはそこに、藝術の可能性を発見した。
波の性質を推し量り、空間の中での感じ方を観察し、何が可能かを感じ取る。
その感性と創造性の交点に、居心地の良い空間が生まれ、人が深く息をつける空間が生まれる。
電磁波は排除できるものではない。
理解し、整えるものだ。
そしてそれは、藝術の営みだとわたしは確信している。
【最後に】
身近な問いから、始めましょう。
「この家が、なぜ少し落ち着かないのか?」
この一つの問いは、思いのほか大きな視点に繋がっています。
家と人の関係を、電気の視点から俯瞰することで
その理由をより具体的に理解できる可能性があります。
そこから新たな可能性を模索する道が拓けるかもしれません。